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HOME > 本・書籍 > 日本的霊性 (岩波文庫)
日本的霊性 (岩波文庫) …1,500円以上で送料無料
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カスタマーレビュー
おすすめ度:
霊性といえば物々しいけれどほんとうはもっと素朴なかそけき居ずまいなのだ。
(2008-11-22)
親鸞が鎌倉時代に「発見」したものは大地であると、鈴木大拙氏は言う。それは平安時代における天上性の対置である。大地性と天上性が交わるところに地平の中心なき中心を有する「無限大円環性」(P133)のパラドクスがある。「個己」と「超個己」の矛盾的自己同一(あらゆるところに中心があって中心はない)がある。こうしたパラドクスが宿す大地と天上の、いわば連続性と断絶性の無分別知こそが日本的霊性の骨格かなと、評者は見る。禅が地平に特化した意識化であるとすれば浄土思想は大地に特化した意識化なのかもしれない(もっと大拙氏の思想に踏み込んでみないとわからないし、たまたま読んだ井筒俊彦氏の『意識と本質』の禅についての言及で「地平」についてのインスピレーションをちらっと評者は得たのだが)。そして親鸞こそが、あるいは親鸞と法然によってこの円環構造あるいは大地のパラドクスを個己へ内面化することに成功したのではないか? 鎌倉時代という厭世的時代背景、個己の死の自覚、大地での具体的生の営み、そして法然と親鸞の出現を待って渡来の仏教がはじめて日本的霊性へと高まることができたのではないか? 「彼(親鸞)の念仏は実念仏であった。即ち大地に接触した念仏であった。」(P94) 否定性のベクトルと肯定性のベクトルが同時に逆向きに働いているため、肯定が即否定になり、また否定が即肯定になって、それが「あるがまま」のものになって再び還ってくる。そうした根源的霊性というものがあるのだと大拙氏は言う。
しかし念仏は必ずしも知性的なものではない。「妙好人(みょうこうじん)」のように知性の回路を経ずに,天然無垢のままに阿弥陀仏を直覚した、赤尾の道宗の行状や浅原才市という市井人の素朴な歌に大拙氏はありったけの賛辞を送る。彼ら妙好人たちは日本的霊性の具現者なのだ。こう言ってよければ霊性とは天と地を繋ぐ人間存在の根本的逆説の洞察にほかならない。
「霊性」という言葉でこの本を敬遠しないで…
(2008-03-07)
本書の存在は前から知っていたが、「霊性」という言葉になぜか拒否感があり、敬遠していた。図書館で手に取り、大地性という概念が重要な意味をなしているようなので借りて読みだした。読みだしてすぐ、これは手元に持っているべき本と気づいた。
今はやりのスピリチュアルとは全く関係ありません。宗教、宗派を超えて訴えてくる、共感できる何かがある。日本文化、日本人、日本を語る上でも必読の書と言えるだろう。
かつての私のように、「霊性」という言葉で本書を敬遠しているひとは是非読んでみてください。
「不合理ゆえに我信ず」
(2006-10-13)
まずは、万葉の世界を「幼稚」、平安の世界を「繊弱」と、言いたい放題。表現はやや過激ながらその指摘はなかなか正鵠を得ており、そこは小気味よくさえある。
もっとも評者は個人的には、大地性から離れた繊弱な世界と言われるものこそに、日本人的な情緒を感じるのだが、そんなことを言うと、大和男児として情けない、などと一喝されそうである。(なにしろ戦時中に書かれた本なのだ。)
そして、主題は鎌倉仏教なのだが、ここでとりあげられるのは禅というより、もっぱら念仏である。
瞑想によって悟りを得るというオーソドックスな方法論からすれば、ただ念仏によって救われるというのは、一見、まったく仏教的ではないようにさえ思われる。しかし、そこに敢えて「不合理ゆえに我信ず」というキリスト教神学の概念を持ち出してくるあたりが、なかなか鋭い。
日本的なものとは何かを知るために
(2005-08-26)
「日本的なものは何か」と問われたとき、これにすぐに答えられる者はどれほどいるだろうか。少なくとも、本書を読む前までの評者はこの問いに沈黙するほかなかったと言わざるを得ない。著者は本書において「日本的霊性」というものを読者に提示し、日本人にこの日本的霊性に自覚的になることを促す。
日本民族の迷いを断ち切る鍵となる本だ・・・
(2004-11-18)
『霊性』というと、なにか神秘的で、オカルトの世界と思いがちだろうが、本書はそういう類の本ではない。僕のイメージでいうと、『霊性』とは、ありのままの大地で、ありのままに生きる人々(特に農民)の心底に沁みこんだ『大地の息吹』ではないかと思う。この『大地の息吹』が、鎌倉時代に初めて土着・展開したというのが、この本の眼目のようだ。ところが、この『大地の息吹』なるもの、なかなか捉えることが難しく、しかし、なんらかの自己表現が必要だったようである。奈良時代・平安時代に日本で展開していた『仏教』を、『大地の息吹』の『惰性的な』表現が、法然・親鸞の浄土思想であり、その担い手は、農民であった。一方、その『大地の息吹』の『知的な』表現が、禅であり、その担い手は、大地に根をはった武士であったということらしい。
また、鈴木大拙は、これに『日本的』と修飾語をつけているが、偏狭なる民族主義を主張する類の本でもない。この本は、昭和19年に書かれ、出版されており、太平洋戦争の敗戦色濃厚なころ、敗戦直前に書かれており、敢えて『日本的』と表現した鈴木大拙には、日本を国際的な孤立に追い込んでいった、偏狭な民族主義に対する抗議の姿勢が伺えられると思う。この著作は、日本人とはなんなのか?経済的な発展の裏で失った大事なもの、それを取り戻す鍵をなる本として、現代的な意義があると僕は思うが・・・。
おすすめ度:
霊性といえば物々しいけれどほんとうはもっと素朴なかそけき居ずまいなのだ。
親鸞が鎌倉時代に「発見」したものは大地であると、鈴木大拙氏は言う。それは平安時代における天上性の対置である。大地性と天上性が交わるところに地平の中心なき中心を有する「無限大円環性」(P133)のパラドクスがある。「個己」と「超個己」の矛盾的自己同一(あらゆるところに中心があって中心はない)がある。こうしたパラドクスが宿す大地と天上の、いわば連続性と断絶性の無分別知こそが日本的霊性の骨格かなと、評者は見る。禅が地平に特化した意識化であるとすれば浄土思想は大地に特化した意識化なのかもしれない(もっと大拙氏の思想に踏み込んでみないとわからないし、たまたま読んだ井筒俊彦氏の『意識と本質』の禅についての言及で「地平」についてのインスピレーションをちらっと評者は得たのだが)。そして親鸞こそが、あるいは親鸞と法然によってこの円環構造あるいは大地のパラドクスを個己へ内面化することに成功したのではないか? 鎌倉時代という厭世的時代背景、個己の死の自覚、大地での具体的生の営み、そして法然と親鸞の出現を待って渡来の仏教がはじめて日本的霊性へと高まることができたのではないか? 「彼(親鸞)の念仏は実念仏であった。即ち大地に接触した念仏であった。」(P94) 否定性のベクトルと肯定性のベクトルが同時に逆向きに働いているため、肯定が即否定になり、また否定が即肯定になって、それが「あるがまま」のものになって再び還ってくる。そうした根源的霊性というものがあるのだと大拙氏は言う。
しかし念仏は必ずしも知性的なものではない。「妙好人(みょうこうじん)」のように知性の回路を経ずに,天然無垢のままに阿弥陀仏を直覚した、赤尾の道宗の行状や浅原才市という市井人の素朴な歌に大拙氏はありったけの賛辞を送る。彼ら妙好人たちは日本的霊性の具現者なのだ。こう言ってよければ霊性とは天と地を繋ぐ人間存在の根本的逆説の洞察にほかならない。
「霊性」という言葉でこの本を敬遠しないで…
本書の存在は前から知っていたが、「霊性」という言葉になぜか拒否感があり、敬遠していた。図書館で手に取り、大地性という概念が重要な意味をなしているようなので借りて読みだした。読みだしてすぐ、これは手元に持っているべき本と気づいた。
今はやりのスピリチュアルとは全く関係ありません。宗教、宗派を超えて訴えてくる、共感できる何かがある。日本文化、日本人、日本を語る上でも必読の書と言えるだろう。
かつての私のように、「霊性」という言葉で本書を敬遠しているひとは是非読んでみてください。
「不合理ゆえに我信ず」
まずは、万葉の世界を「幼稚」、平安の世界を「繊弱」と、言いたい放題。表現はやや過激ながらその指摘はなかなか正鵠を得ており、そこは小気味よくさえある。
もっとも評者は個人的には、大地性から離れた繊弱な世界と言われるものこそに、日本人的な情緒を感じるのだが、そんなことを言うと、大和男児として情けない、などと一喝されそうである。(なにしろ戦時中に書かれた本なのだ。)
そして、主題は鎌倉仏教なのだが、ここでとりあげられるのは禅というより、もっぱら念仏である。
瞑想によって悟りを得るというオーソドックスな方法論からすれば、ただ念仏によって救われるというのは、一見、まったく仏教的ではないようにさえ思われる。しかし、そこに敢えて「不合理ゆえに我信ず」というキリスト教神学の概念を持ち出してくるあたりが、なかなか鋭い。
日本的なものとは何かを知るために
「日本的なものは何か」と問われたとき、これにすぐに答えられる者はどれほどいるだろうか。少なくとも、本書を読む前までの評者はこの問いに沈黙するほかなかったと言わざるを得ない。著者は本書において「日本的霊性」というものを読者に提示し、日本人にこの日本的霊性に自覚的になることを促す。
著者によれば、日本的霊性が最も顕現するのは浄土系思想と禅であるという。両者は外来のもののように見えるが、これらは日本的霊性による能動的な受容により日本に定着したというのだ。大拙はこう述べている。
「明き心、清き心というものが、意識の表面に動かないでその最も深き処に沈潜していって、そこで無意識に無分別に莫妄想に動くとき、日本的霊性が認識せられるのである。」
これに共鳴したのが禅と浄土系思想だったのだ。
本書の魅力は、上のことを丁寧に説得的に読者に説くことだけにあるのではない。
「宗教は上天からくるともいえるが、その実質性は大地に在る。霊性は、大地を根として生きている。萌え出る芽は天を指すが、根は深く深く大地に食い込んでいる」
「単にこの身の気持が良いだけでは、天日の有難さは普遍性をもち得ぬ。大地と共にその恵みを受ける時に、天日はこの身、この一個の人間の外に出て、その愛の平等性を肯定する。・・・ここに宗教がある、霊性の生活がある」
と、宗教の本質を大地性にあることを明らかにした箇所で評者は目から鱗を落とされた。宗教とは何かを考えるときにも本書は極めて有益であろう。
仏教用語が、特に後半においてたくさん出てくるために、読み進めるのはいささか骨が折れるが、本書はそれだけの苦労をする価値がある。篠田英雄氏の解説も大変わかりやすかった。「現代仏教学の頂点をなす著作」という紹介は全く誇張ではあるまい。
日本民族の迷いを断ち切る鍵となる本だ・・・
『霊性』というと、なにか神秘的で、オカルトの世界と思いがちだろうが、本書はそういう類の本ではない。僕のイメージでいうと、『霊性』とは、ありのままの大地で、ありのままに生きる人々(特に農民)の心底に沁みこんだ『大地の息吹』ではないかと思う。この『大地の息吹』が、鎌倉時代に初めて土着・展開したというのが、この本の眼目のようだ。ところが、この『大地の息吹』なるもの、なかなか捉えることが難しく、しかし、なんらかの自己表現が必要だったようである。奈良時代・平安時代に日本で展開していた『仏教』を、『大地の息吹』の『惰性的な』表現が、法然・親鸞の浄土思想であり、その担い手は、農民であった。一方、その『大地の息吹』の『知的な』表現が、禅であり、その担い手は、大地に根をはった武士であったということらしい。
また、鈴木大拙は、これに『日本的』と修飾語をつけているが、偏狭なる民族主義を主張する類の本でもない。この本は、昭和19年に書かれ、出版されており、太平洋戦争の敗戦色濃厚なころ、敗戦直前に書かれており、敢えて『日本的』と表現した鈴木大拙には、日本を国際的な孤立に追い込んでいった、偏狭な民族主義に対する抗議の姿勢が伺えられると思う。この著作は、日本人とはなんなのか?経済的な発展の裏で失った大事なもの、それを取り戻す鍵をなる本として、現代的な意義があると僕は思うが・・・。


